田辺で海回りの大辺路と分かれた古道は、いよいよ山また山の中辺路へと入り、一路熊野本宮大社をめざします。このコースは、中辺路の入口にあたり、田辺市から上富田町にかけての緩やかな丘陵沿いに進みます。
田辺市東部の秋津・万呂・三栖といった王子社をめぐり、岡の峠を越えれば上富田町。「西行」ゆかりの八上王子、「南方熊楠」ゆかりの田中神社等歴史と文化に彩られた史蹟に立ち寄りながら歩きます。
コースの最後は、昔の旅人が聖水と崇めた富田川(岩田川)沿いに鎮座する稲葉根王子社。聖水で身を清める「水垢離」が盛んに行われた、別格の五躰王子社です。
歩行距離:12.0km 歩行時間:3~5時間
最低標高:約5m(田辺市街地) 最高標高:約140m(新岡坂トンネル上を越える場合)
※上記の距離・時間は、紀伊田辺駅から高山寺・秋津王子経由、八上王子から旧国道311号ルートの場合です。(下記街道マップ参照)
コース紹介
スタート地となる田辺の町は、かつて「口熊野」と呼ばれた熊野古道中辺路街道の始まりの地です。市内の「北新町」は、熊野古道中辺路と大辺路との分かれ道にあたり、「道分け石」が立っています。
このコースの古道は、ほとんどが市街地および郊外の生活道路となっており、本来の古道がわかりにくくなっています。
唯一、三栖王子から稲葉根王子に至るところに古道が残っていますが、夏場は雑草が多く通行しにくくなっています。そのため主に車道を歩くことになるので「熊野古道を歩く」という雰囲気は少ないコースです。
しかし、滝尻~熊野本宮大社間の人気の区間だけでなく「熊野古道中辺路を通して歩いてみたい」という方も見受けられ、田辺をスタートして歩き始める方も増えてきました。
田辺市街地を抜けて
田辺市街地には、境内が世界遺産に登録されている「鬪雞神社」があり、紀伊田辺駅から500mくらいなので、時間があれば立ち寄ってみましょう。鬪雞神社に立ち寄った場合は、いちど駅まで戻るか、途中の「湊本通り」を通って道分け石に向かうこともできます。
道分け石からは「三栖口」踏切を渡って直進し万呂王子に向かうこともできますが、 弘法大師が開創したとされている「高山寺」に立ち寄るのもおすすめです。
秋津王子
藤原定家の「熊野御幸記」に「秋津王子」の名が初めて登場します。
秋津にあったことは明らかですが、会津川の氾濫で数度にわたって移転され、元の場所は消滅して確定できません。柳原という所から笠松跡、安井へと移転し、明治以降は豊秋津神社に祀られています。同社所蔵の永正三年(1506)の棟札に柳原王子とあります。
(写真は安井宮跡の石碑)
万呂王子
藤原定家の熊野御幸記に、秋津王子に参ったあと「山を越えて丸王子にまいり」とありますが、現在、その山はまったく確認できません。その社地は小さい森になっていたそうですが、明治10年に須佐神社に合祀され、その後、田になってしまいました。
現在は熊野橋から50mほどの北の梅畑の畔に標柱があります。(梅畑の中で分かりにくい場所にあります)
三栖王子
万呂王子跡から左会津川をわたり、報恩寺の山側の道をのぼると「三栖王子跡」の碑があります。ここからは見晴らしが良く、周辺を見渡すことが出来ます。社殿は水害で崩壊し、現在は残っていません。
御幸記にはミス山王子と記されていますが、すぐ側を流れる谷川に王子社が映って見えることから、江戸時代には主に影見王子と呼ばれていました。
三栖王子からは、現在の上富田町岡へ越して八上王子・稲葉根王子へと続くのですが、室町時代には、ここから上三栖を経て潮見峠を越える街道が開かれました。
現在は、潮見峠への途中にある「珠簾神社」に合祀されています。
三栖王子から稲葉根王子に至るところに古道が残っていますが、 特に夏場は雑草が多く通行しにくくなっています。 その場合、車道を歩いて新岡坂トンネルを抜け、八上王子に至ります。
八上王子
建仁元年(1201年)の『熊野御幸記』に「ヤカミ王子」とあり、古くから崇敬されていました。西行法師の私家集『山家集』に、
「待ち来つる 八上の桜 咲きにけり
荒くおろすな 三栖の山風」
とあり、八上王子の名が広く知られています。
王子は住民の信仰があつく、今は八上神社として産土社となり社叢も保護され、最もよく神社の形態が保たれています。明治末期に神社合祀の対象となったが、南方熊楠の神社合祀反対運動のおかげで合祀をまぬがれました。
八上王子境内は世界遺産・熊野参詣道の一部として登録されています。
八上王子からは、ほとんど車道を辿ります。途中、水田のなかのこんもりとした森が、田中神社です。
田中神社から稲葉根王子へは、王子谷越ルートもありますが道が荒れているため、稲葉根トンネルを抜けるか旧国道311号ルートをおすすめします。
稲葉根王子
稲葉根王子は上富田町岩田王子谷の入口にあり、熊野九十九王子の中でも社格の高い准五体王子でした。
天仁2年(1109年)の「中右記」にもその名が見え、社歴も古く、格別に崇敬されていました。 この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持っています。
熊野街道中辺路の重要な水垢離場とされた岩田川(富田川)の渡渉地点に近く、この王子から川で水垢離を取り対岸の一ノ瀬王子へ渡ったと伝えられています。
江戸時代は産土神とされていたが、大正15年(1916年)、現在の岩田神社へ合祀されました。現在は再び分霊を遷し、稲葉根王子として再興されています。
稲葉根王子境内も世界遺産・熊野参詣道の一部として登録されています。
稲葉根王子からはバスとなりますが、 稲葉根王子からのバスが少ないので、あらかじめ帰りのバス時刻を調べ、余裕を持って計画してください。