本文にスキップ

モデルプラン6 植芝盛平ゆかりの地めぐり

 田辺の三偉人のひとり植芝盛平さんは、世界140の国と地域で親しまれる武道「合気道」の創始者。合気道は、いたずらに強弱を競わず、互いに切磋琢磨することで心身を磨くことを目的とし、盛平さんはつねづね「合気とは敵と戦いやぶる術ではない、世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。」と述べています。田辺に残る盛平さんゆかりの地をめぐって世界中で親しまれる合気道の精神を感じてみよう。

植芝盛平翁と熊野

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、山岳修験の吉野・大峯、真言密教の高野山、そして自然崇拝の熊野三山という3つの霊場とそれらを結ぶ参詣道及び文化的景観で構成されています。紀伊半島という狭いエリアの中で、起源も内容も異なる3つの霊場が参詣道でつながり、互いに影響しあって共存していることは、世界的にも稀有であり、その景観や精神性が評価され、2004年に世界遺産に登録。なかでも、熊野は、性別や身分、浄不浄、信不信をも問わず何人も受け入れたとされ、その寛容性を物語る数々の逸話が残されている。人生の再出発を目指す多くの人々の心のよりどころであった熊野には、いま世界中から多くの観光客が訪れています。
 田辺市出身の植芝盛平翁が創始した武道「合気道」の特徴は勝ち負けを競わないこと。盛平翁はつねづね「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。」と述べており、いまや世界140の国と地域で親しまれています。また、男児に恵まれなかった植芝家は、熊野本宮大社に祈願に訪れ、ようやく生まれたのが盛平翁だったため、こうしたことから、盛平翁はことあるごとに、「私は熊野の申し子だ」、「合気道は熊野の大神様の御息のあらわれじゃ」と述べています。
 世界中で親しまれる合気道の和合の精神は、熊野の精神性ともつながるところがあり、盛平翁が合気道を創始したのは熊野の地で生まれたからこそなのかもしれません。

スタンプラリーモデルコース

スタンプスポット

①植芝盛平記念館
②植芝盛平翁生誕の地
③西八王子宮
④地蔵寺
⑤高山寺

おすすめの巡り方

紀伊田辺駅を起点に、徒歩またはレンタサイクルで街の雰囲気を感じながらめぐってみましょう。
■歩行距離:約5.8km
■所要時間:2時間30分~3時間
※所要時間は目安です。歩行速度や見学時間により変動します。

コース紹介

JR紀伊田辺駅から出発!



徒歩15分

植芝盛平記念館

 田辺市の名誉市民でもある植芝盛平さんを顕彰する植芝盛平記念館。武道館内に併設され、盛平さんの功績をたたえる様々な展示や合気道の体験コーナーなどがあります。施設の正面には、盛平さんの功績を永く後世に伝えるため建立された盛平さんの像が立っています。



徒歩20分

植芝盛平翁生誕の地(生家跡)

西ノ谷村の富裕な農家の家に生まれた盛平さん。植芝家にとって待望の男児で、村の有力者であった父の寵愛を受けて育ちました。小さい頃は身体が弱く、内向的な少年だったという一面も。
生家跡には盛平さんの後を継いだ息子の吉祥丸の筆による碑が建てられています。



徒歩3分

西八王子宮

盛平さんの生家近くにある神社。明治の神社合祀により一度は廃社されたものの、盛平さんたち地元住民の働きにより復社されました。盛平さんによると、南方熊楠の神社合祀反対運動に感銘を受け、共に奮闘したそうです。



徒歩3分

地蔵寺

盛平さんが小さい頃から勉学を学びに通ったお寺。幼いながら理解力が高かった盛平さんは、住職が語る密教の修法や弘法大師の奇跡説話に熱中したそうです。境内には田辺出身の江戸時代の大関「千田川」の墓所もあります。



徒歩25分

高山寺

植芝家先祖代々の墓所がある真言宗のお寺。境内の道場では合気道の稽古が行われており、ふるさと田辺でも子供から大人まで、たくさんの方が合気道に親しんでいます。



徒歩15分

紀伊田辺駅

高山寺散策後は、山門方面から大師橋、大師通を通ってJR紀伊田辺駅方面へ戻りましょう。

ページトップへ