紀伊半島の“シワ”に秘められし絶景低山を求めて
文と写真:低山トラベラー 大内 征
紀伊半島の魅力について、田辺市の真砂市長から直々にレクチャーを受けたことがある。日本最大の半島が描かれた大きな地図を前にして、市長はユーモアを交えた表現で地元の魅力を切り取っていく。軽快な語り口にして視点は深く、ぐっと惹きこまれていった。
なかでも忘れられないのが、紀伊半島を“しわくちゃ”と表現したことだった。フィリピン海プレートの運動によって突き上げられた大地がぎゅうっと圧縮されて、それが低い山々の折り重なる独特な景観を生んだという。その“シワ”を引き延ばしてみれば、見えざる歴史物語や地域文化がたくさん潜んでいるのだと、目じりに”皺”を寄せて楽しそうに話す市長。その調子にこちらまでつい楽しい気分になり、ちょっと話に食いついてみると「いや知らんけど!」と突き放される。いやはやこの駆け引き、会話の達人である。じつを言うと、それからずっと田辺の“シワ”のことが頭から離れなかったのだ。
土地の歴史伝承や文化産業が色濃く残る低山の歩き旅を、ぼくは「低山トラベル」と名付けて楽しんでいる。山には高きあのピークに立つ“縦の喜び”があり、旅には遠くかの地へ到達する“横の喜び”がある。それだけではない。知らないことに初めて触れる喜びは望外で、それこそが低山で見聞を広げる楽しさだと思うのだ。そんなぼくの目に、田辺の低山はじつに魅力的に映っている。山座同定すら難しそうな深く刻まれた大地のシワの中で、ぼくはぼくのやり方でシワを伸ばして宝物を探してみよう、そう思ったのは自然な流れだった。
ー田辺の西ー
ベースキャンプは市街地!
まちから至近の絶景低山「ひき岩群」と「岩屋山」
山旅に必要なあらゆる道具を詰め込んだのは、旅で愛用するミステリーランチの50Lのザック。タフな作りだから飛行機で預けても不安はない。現地で行動するときに使う25Lの小さなザックをロビーで取り出し、この中に貴重品やバッテリーなどを入れ替えて機内持ち込み用にする。毎年歩いている熊野古道の玄関口ゆえ田辺には通いなれたものだけれど、この日はいきなり空港のセキュリティチェックでひっかかってしまった。登山靴の紐を留める金属のパーツが原因だったらしい。そんなことにさえうっかりしてしまうくらいに、早朝からワクワクしていたようだ。フライトは羽田から南紀白浜空港まで1時間程度。遠いと思われがちな和歌山だけれど、その実あっという間である。ぼくはフライトの前に、コーヒーを飲んで高まる気持ちを落ちつけた。
空港から真っ先に向かったのは、岩の殿堂「ひき岩群」である。最高地点200m足らずのスーパー低山にして展望は360度の超ド級。その絶景に引きこまれるからなのか、逆に”引く”ほどの絶景だからなのか、山名由来が気になるところだ。しかし、残念ながらそのどちらもハズれである。じつはヒキガエルが群れをなして空を仰ぎ見る姿に見えることから「ひき岩群」となったそうだ。
一度山上に上がってしまうと、屹立して並ぶ“ヒキガエル”の迫力に低山だということをつい忘れてしまいそうになる。空がとても近く感じてしまうのは深く鮮烈な青色が広がっているせいかもしれない。
雪山を楽しむ登山者たちが山名に「ブルー」をくっつけたタグでSNSを楽しんでいるのを見かけたことがあるだろう。たとえば八ヶ岳ブルーとか谷川ブルー、白馬ブルーといったように。とくに冬の南紀は空も青いし遠望する海も真っ青だ。これを「ひき岩ブルー」と命名しても差し支えないだろう。考えてみると、山の高低に関わらず、見上げればぼくらの目には「天」と「稜線」しか目に映らないのだから。ここひき岩群の山上世界を写真で見せると、多くの人はその低さに気がつかないはず。それだけの大展望だから、一度は来るべき低山だと思っていた。結果、大正解である。
実は“谷”もかなりいい。低い岩山だという先入観で立ち入ると、その植生と水の豊かさに驚かされることは間違いないだろう。まるでジャングルのような景観に、恐竜でも出てくるんじゃないの?とは同行した友人たちの弁。実際、この鬱蒼とした岩峰の鞍部と複雑な地形に多大な関心を寄せたのが、博物学者であり生物学者でもある南方熊楠だったりする。彼は足しげくこの山に通い、研究材料を採取したり観察に勤しんだりしたそうだ。歩いてみた感じ、イノシシの気配が濃い。水があるから食事には困らないのだろう。
ひき岩群は、梅とみかんを栽培する山々にぐるりと取り囲まれている。その眺め、じつに壮観。これひとつをとってみても、南紀・田辺らしい風景だと感じ入ってしまう。フルーツが大好物のぼくは、下山したらさっそくみかんを買おうと心に決める。地元の友人に聞けば、最高の市場を教えてくれるはずだ。
ひき岩群を歩いただけでは、いささか物足りないに違いない。それならばぜひとも隣の岩屋山を歩いてみよう。こちらも見事な岩の殿堂で、西国三十三霊場を巡ることができる巡礼のトレイルが開かれている。これがまた楽しいうえに絶景過ぎて、つい長居をしてしまうのだ。さきほどまで歩いていたひき岩群の複雑怪奇な山容を、やや引いた位置から展望できる絶好のスポットでもある。
時が過ぎるとともに、光で町が立体的になっていく。西へと落ちゆく太陽が、山と海の隣接する田辺の地形に影をつくりはじめるためだ。あまりの美しさに思わず感嘆の声をあげる。やはりここでも、低山だということを忘れてしまっている自分に、しばらく気がつかない。山っていいなあと、ただそれだけを思う。
絶対にハズせない下山後のお楽しみ「味光路」の酒と肴
山を後に、お腹を空かせて駆け込んだのは「食の田辺」を象徴する飲み屋街・味光路(あじこうじ)である。駅前の一角に200近い個人店がびっしり寄り添っていて、一歩踏み込むとまるで迷路のように入り組んでいる。ここをあっちでもないこっちでもないと歩くのが楽しい。地元の友人知人に教えてもらった居酒屋に通っているうちに、気がつけば馴染みになった店はかなり増えた。これは素直に嬉しいことだ。カウンターのお店も多いから、店主との会話も自然にはじまる。これも素直に嬉しいことだ。
旅先では地元の旬を味わうのがご褒美。個人的に「もちがつお」の衝撃は忘れがたい。うまい魚介にはちょっとうるさい東北人でも、この揚がりたてのカツオには参ってしまうだろう。もちもちした食感にあっさりした味わい。おおよその日本人が知っているカツオではないのである。鮮度が大事な逸品で、これぞ地元でしか味わえない味覚の筆頭。ありつけるかありつけないかは運次第なのだと、隣り合った地元客も笑う。ああ、うまい肴にうまい酒。もう、そのあとのことはよく覚えていない。
ー田辺の中央ー
地形の変化が楽しい渓谷道も、険しい尾根道も
癒しの「百間山渓谷」とアスレチック低山「半作嶺~三ツ森山」
味光路で深酒をするなという方が難しい。だって口にするなにもかもが美味しいし、触れ合うだれもかれもが優して、暖簾をくぐればどこもかしこも良い店なのだから……。と、前夜の言い訳からスタートした気だるい朝だったけれど、今日は近露に移動して周辺の低山を楽しむのだ。翌日にかけて時間はたっぷりある。
近露は、なかなか難読な地名ではないだろうか。こう書いて「ちかつゆ」と読む。この不思議な響きに感じるものがある人は、ぜひ由来を調べてみて欲しい。熊野古道・中辺路の要衝の地であり、ぼくは毎年歩く熊野詣での宿泊地として何度も訪問しているお気に入りの場所だ。低くたなびく山々に囲まれた盆地の真ん中を美しき日置川がキラキラと流れていて、日本の里山らしさをその風景に留めている。明るく、のどかで、静かに過ごせる雰囲気に、どんな旅人もきっと虜になるだろう。
この近露を拠点にした低山トラベルをするならばと、前々から調べていた山がいくつかある。滝巡りが楽しい百間山渓谷、そして乙女の寝顔と形容される半作嶺とそれに隣接する三ツ森山である。異なる魅力を味わえる贅沢な低山トラベルができそうだ。
谷に差し込む光が幻想的な「百間山渓谷」
百間山渓谷は巨岩の合間を縫い歩きながら滝巡りを楽しむことができる、山あり谷ありの好ルート。巨石と滝が好きなぼくにとっては、これほど興味をそそられる山はない。それに、中辺路を歩くときは毎回通る近露だけれど、それ以外の目的で来ることはなかなかなかったから、それもなんだか嬉しかったりする。というようなことを田辺の友人たちに話していたら、最近結成されたという登山部が同行してくれることになった。その名も「たなべ低山登山部」という。その名前……リスペクトしかない。
百間山渓谷の絶妙なところは、地形の変化とそこに差しこむ光の変化が相乗的に美しさを演出することだろう。早い瀬があり、巨岩をくぐると大きな滝が出現する。透き通った水が湛えられた淵は美しく、連続する小さな滝を釜が受け止めている。こんな風景が何度も繰り返し訪れ、地形がどんどん変わっていく様子を陽光が照らす。これが楽しくないわけがない。初めて来たわけではないだろうに、たなべ低山登山部のメンバーたちは童心に返ったように賑やかに歩いている。ああ、いいなあ。こういう遠足登山、こどものころにあったよなあ。
さして大きな渓谷とは言えないけれど、見所が次へ次へと続いていく千変万化の渓谷道。この水辺の区間だけを楽しむハイカーも多いそうだから、ときにストレス解消に、ときに山ごはんにと、テーマを変えて歩くだけでもよさそうだ。とくに雨乞いの滝と犬落ちの滝の前は休憩するのに適した場所。ここでのんびりと過ごしてから、来た道をそのまま引き返すのもアリだろう。
このコースの後半で山頂を目指す場合は、沢の音を離れて尾根で風の音に耳を傾けることになる。展望の素晴らしい大岩を過ぎれば山頂までそう遠くはない。しかしながら急登が続き、季節によっては低木が繁る道だから、 だいぶ“山登り”をしている感が出てきた。百間山の頂は999m。樹林に囲まれてはいるものの、その隙間からは紀伊半島の“シワ”を確かめることができる。
乙女の寝顔を侮るなかれ「半作嶺~三ツ森山」
ぼくはこの半作嶺と三ツ森山を結ぶ縦走路がお気に入りである。しかし、なかなかの難路であることを先に伝えておく必要はあるだろう。とにかく険しい。半作嶺にしても三ツ森山にしても、痩せた岩尾根と固定ロープがあちこちにある、やや難易度のあるアスレチック低山なのだ。それを乗り越えた先にある絶景は素晴らしいのひと言なのだけれど。
登山口に向かう道中で、ウワサの”寝顔”を拝むことができる。あの“鼻“の部分が山頂だ。いまから寝顔を伝ってそこを目指すわけだが、遠目からでもアゴとか鼻とかの起伏は激しそう。美しさに気を取られていたら、その厳しさを想像することができないかもしれない。
で、実際に歩いてみるとやはりなかなかの険しさで、それでいて楽しい道のり。登山口から半作峠までは樹林をゆくものの、その先はどちらの山も岩尾根と岩陰の狭い急登の道とで全身運動となること必至。半作峠から西へ進路をとれば、標高894mの半作嶺、東へ進めば三ツ森山950m。いずれの山頂も突然のように視界が開ける岩のピークで、その展望はまさしく360度の絶景が広がる。ここでは間違いなくサングラスが大活躍するから、季節を問わず持っておきたいところだ。あと手袋を忘れてはならない。
これぞ日本の原風景!
だれもが「ただいま!」と言いたくなる近露の里
近露には何度でも通いたくなるお店や施設がいくつもある。たとえば宿なら、熊野古道ですっかり常連になってしまった「民宿ちかつゆ」がお気に入り。こじんまりとした素朴な宿を営むご家族の人柄が好印象で、今回の滞在でも思わず「ただいま~!」と言ってしまったほど、わが家感がある。
とにかく食事が美味しい宿で、土地の旬を味わうことができるのが嬉しいではないか。タイミングがよければ鮎を炊き込んだ飯が出るかもしれない。公式メニューではないそうだから、本当に運がよくなければ食べることはできない料理だ。ぼくは何度も泊まっているけれど、鮎飯にありつけたのは数える程度。
とろっとした泉質の温泉もすんごくいい。山歩きで汗にまみれた身体を溶かすようにやわらかだ。洗濯機と乾燥機も使うことができるから、ハイカーや旅人たちにとっては有料だとしても嬉しいサービスだ。そんなぼくも必ずここで衣類を洗って、翌日の山歩きに備える。ファンが多いことも頷ける。
これまで営業時間外にしか通ったことがなかった「カベロ」のコーヒーも、ようやく味わうことができた。広い店内には大きなテーブルと広い板間の小上がりがあり、田辺にまつわるさまざまな本が置かれていて興味深い。自家焙煎のコーヒー豆も購入できるし、その場で味わうこともできる。ちなみに「カベロ」とはポルトガル語で「髪」を意味する。なるほど、となりに美容室があるのは、そういうことなのだろう。あわせてご家族で経営されているそうだ。
時間が許すなら、ぜひ「熊野古道なかへち美術館」にも立ち寄りたい。旅先の文化に触れるには美術館や博物館は最適な場所だ。展覧会の会期でなければ入ることができないけれど、新しい視点や再発見のヒントを得られるかもしれない貴重な情報収集の場なのである。
ー田辺の東ー
旅の締めくくりは、最強の展望地「七越峰」と最高の聖地「大斎原」で
田辺市を西から東へ移動しながら楽しんできた低山の横断紀行。その間、ずっと頭から離れなかったのは真砂市長のレクチャーだった。だとするならば、やはり旅の終わりは紀伊半島の“シワ”をしっかりと目に焼き付けられるスポットで締めくくりたい。そう思ってやってきたのは、熊野本宮大社と大斎原の眺めが素晴らしい七越峰。ここは田辺でも指折りの絶景地だといえるだろう。
七越峰は、奈良の吉野から熊野本宮大社を目指す長大な修験の道・大峯奥駈道で最後に踏破する頂である。その中心たる大峰山から数えること七つ目の峰にあたる山だとして、この名がついたという。長き道のりを乗り越えた修験者たちはここで足をとめ、ようやく目にする熊野の風景に思わず目頭を熱くしたに違いない。この地こそが、広大な“シワ”の中に秘められた聖地中の聖地。そういう尊い場所を眺める特等席に麓から1時間ほどで登ることができるのだから、これを見逃す手はない。
七越峰から眺める山々は、まさしく“しわくちゃ”だ。目に入る山と山の間には必ず谷があって、そこに人々が暮らし、地域文化や産業が育まれ、長い月日をかけて営みが継承されてきた。熊野古道はもちろんのこと、ひき岩群も田辺の市街地も、半作嶺も近露の里も、そしてぼくという存在も、すべてはこの“シワ”の中のこと。
かつて大斎原に鎮座していた本宮には、備崎という尾根の先から対岸へと船を渡して参拝したそうだ。その備崎に、現代は大きな鉄橋が架けられている。この日、熊野川の悠々とした流れには空の青さがよく映えていた。
広大な山の“シワ”をたっぷりと目に焼き付けてから七越峰を後にして、間もなく田辺横断の山旅を終えようとしている。川辺に佇む釣り人は鮎狙いだろうか。あの人の魚を追う旅は、いまはじまったのだ。橋の上でその様子をしばらく見つめてから、ぼくはゆっくりと大斎原に向かった。
筆者
低山トラベラー/山旅文筆家
大内 征
土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探究。ピークハントだけではない“知的好奇心をくすぐる山旅”の楽しみ方とトレイルを歩くことの魅力について、文筆と写真と小話で伝えている。
2016年よりNHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」にレギュラー出演中。NHKBSプレミアム「にっぽん百名山」では雲取山と王岳・鬼ヶ岳の案内人として出演した。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、『低山手帖』(日東書院本社)などがある。NPO法人日本トレッキング協会常任理事。宮城県出身。