源義経に仕えた伝説の豪傑・武蔵坊弁慶。弁慶さんの話は所説ありますが、熊野別当の子供である説や幼少期にまつわる史跡が数多く残っていることから、田辺が生誕の地として有力視されています。地元の英雄として親しまれる弁慶さんゆかりの地をめぐってみよう!
武蔵坊弁慶と熊野
武蔵坊弁慶の存在については諸説ありますが、地元で広く知られているのが、熊野別当・湛増の嫡子として生まれ、その後、京都での修行を経て、源義経に仕え、奥州平泉で最期を迎えたという話。それを裏付けるかのように田辺には、幼少期の弁慶にまつわる史跡や弁慶の生涯をしのんで植えられたという弁慶松などが残ります。
特に有名なのが、熊野三山の別宮的存在として知られ、紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産登録されている闘鶏神社。弁慶とその父・湛増が、源平合戦の命運を分けた鶏合神事を行った舞台でもあり、その様子を再現した銅像も建てられています。闘鶏神社は、時代ごとに地域の重要な役割を担い、弁慶の物語を通じて、町の歴史や地元で愛されてきた弁慶さんについて知ることができます。
本当かどうかわからない話でも、それがその地域に残り、語り継がれていることに意味があるのかもしれません。
スタンプラリーモデルコース
スタンプスポット
①鬪雞神社
②大福院
③海蔵寺
④八坂神社
⑤弁慶松・弁慶産湯の井戸
おすすめの巡り方
紀伊田辺駅を起点に、徒歩またはレンタサイクルで街の雰囲気を感じながらめぐってみましょう。
■歩行距離:約3.1km
■所要時間:1時間30分~2時間
※所要時間は目安です。歩行速度や見学時間により変動します。
コース紹介
JR紀伊田辺駅から出発!
弁慶像
JR紀伊田辺駅正面を出てすぐ左側、高さ3m、重さ2tの弁慶像がお出迎え!
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徒歩8分
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鬪雞神社
熊野三山の別宮的存在として知られる神社で、2016年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。
弁慶の父とされる熊野別当・湛増(たんぞう)が、源平合戦でどちらに味方するかを決めるときに御神前で鶏を戦わせて神意を占ったことが(鶏合神事)が社名の由来。「勝運導き」のご利益があると言われています。
境内には、鶏合神事の様子を再現した「湛増・弁慶の像」があります。熊野水軍を率いる湛増に援軍を求めるため源氏側の使者として訪れたのが弁慶だったと言われています。また、社務所には弁慶産湯の釜や湛増が使ったとされる烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。
田辺市東陽1‐1
電/0739-22-0155
時/8:00~17:00(授与所)
休/無休
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徒歩1分
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大福院
古くは鬪雞神社の修理本願を担っていた寺院。境内には弁慶生誕地の碑があります。
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徒歩5分
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海蔵寺
JR紀伊田辺駅からほど近い場所にある大きなお寺。弁慶の父とされる湛増が源平合戦に熊野水軍を出陣させた際、戦勝を祈願したという「弁慶観音」と呼ばれる木造観音像(非公開)が安置されています。
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徒歩5分
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八坂神社
田辺第一小学校の裏手にある小さな神社。境内には弁慶が少年時代に座ったといわれる弁慶の腰掛石があり、大人でも座れるくらいの大きなお尻のくぼみができています。
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徒歩8分
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弁慶松と弁慶産湯の井戸
田辺では昔から地元の英雄として「弁慶さん」が親しまれていました。そんな田辺の人が弁慶を偲んで植樹したとされるのが弁慶松。
江戸や明治のころには近くの旅籠(はたご)の使用人が朝早くに落ちた弁慶松の葉を拾いに来て、台所の焚き付けに使っていたとか。熊野詣の人々が無事に参詣を終えるとふるまわれたお祝いの餅「山祝い餅(または弁慶の力餅・山越餅)」も、そのかまどで蒸されたもち米をついて作られていたそうです。
5代目までは片町にあり1975年に枯死しましたが、その種子から育てた6代目弁慶松が田辺商工会議所前に植えられています。
弁慶産湯の井戸は、弁慶の産湯の水を汲んだと伝えられている井戸。1960年までは田辺第一小学校内にありましたが、現在は田辺商工会議所前、弁慶松の横に復元されています。
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徒歩15分
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紀伊田辺駅
大通りを通ってJR紀伊田辺駅方面へ戻りましょう。